塾長の無駄話
無駄ほど大切かもんは無かとばい。

今回は音楽。何で音楽始めたかっちゅう話。

13歳の時に従姉のクラシックギターを借りてきたのが始まりやね。
これが面白うてくさ、はまったとたい。
丁度、そん頃、NHKの「みんなのギター」とか何とかいう番組がありよって、そん中に同じ年の女の子が「生徒さん」で出演しよった。
この子が結構ギターが上手で、毎週更に上達しなはるわけよ。
そやけん、俺も負けんめぇと思うて、毎週、真面目に練習したと。

そん頃が一番ギターは上手かったね。
何だかんだで、中級講座まで練習しよったけん。
そん後は、歌い始めた。
親父から「鶏の絞め殺さるるごたる声ば出すな」とか言われよったばってん、気にせんで、友達よんでは一緒に「鶏の絞め殺さるるごたる声」で歌いよった(^^)

中学3年まで「芸能界」に憧れとったね。
中学の時はブラスバンドで、金管楽器なら何でん演奏出来るごとなった。
そん頃は、異常なぐらい楽器に興味があったね。
部室から、こそっと借りてきては、自分の担当楽器以外の楽器ば練習しよった。

ブラスは高校の時に先輩ともめて辞めたばってん、
ギターと歌、フォークソングは、そんまま大学まで持って行った。

浪人時代は音楽は聴くだけ。ほんなこて勉強ばかりしよった。
当時はカーペンターズとか流行りよったね。

浪人時代の大量お勉強も報われず、第一志望大学にこけて、大阪に都落ちした。
住んだアパートのすぐ近くに「ビーハウス」ちゅう、知る人ぞ知るライブハウスがあった。
ちゅうても当時の俺は「ビーハウス」のすごさも知らん。
知らんけん物怖じもせんで、オーディションしてもらって、運良く合格し、そんまま歌い始めた。

どげん頑張ったって開けん道もあるばってん、すんなり開く扉もある。
すんなり開くときゃ、だいたいが「そん道、進め!」ちゅうことやね。

そん道進んで今、ここまで来たったい。

今でも歌いよるよ。今週末も大牟田駅前のプレーヤーズ・コンサートで歌う。

音楽は良かね。仕事にせんなら、これほど良かもんはなか。


そん話はまたね(^^)/